サイゴン(ホーチミン)です!
1時間以上も早く着くという不幸にみまわれながらも、ベトナム訪問地最後のサイゴン
(現地ではホーチミンより以前から使われていたサイゴンが一般的。駅にもサイゴンと
表示されていました)に着いたという安堵感からでしょうか、妙に興奮しております。
それはこの都市が持つ雰囲気にも原因があるかもしれません。
早朝(朝3時過ぎ!)のサイゴン駅にサークルKがありました。懐かしいですね。
何か親しみを覚えます。日本人が店員だったりして、などとあらぬ想像をしたりして
おりました。サイゴン市内にはローソンもありました。不思議とセブンはありません。
タイではあれほどあったのですが、ミャンマー、ラオスではコンビニ類は一切みており
ません。会社の方針でしょう。
レジの所にタバコかなと思って良く見ると違いました。
写真中央に箱状のものが4段ありますよね。日本の喫煙者だったら間違いなくこれを
タバコだと思うでしょう。箱には「岡」とか「OKAMOTO」とか書いてありました。
そうです、コンドームです。市内のコンビニでも同じでした。どんだけ需要があるんで
しょうか。因みにタバコはというとレジを打つ店員の後ろに隠されています。これは
タイでも同じでした。
サークルKの隣にあったお店です。何となくピカチュウがどこか違うような気がします。ベトナム最大都市サイゴンの駅ですからもっとあったのですがこのお店が5時に
開店した他はまだ開いてませんでした。そういえばロッテリアもあったな。
流石にサークルKだなと思ったのがサッポロビールがあったことです。他には日本の
商品は無かったような気がします。
この日は数少ない目的の一つ、戦争証跡博物館にホテルに荷物を預けて行って来ました。屋外にはアメリカ軍のヘリ、戦闘機、戦車など数多くの使用された兵器が展示され
ていました。館内には写真やビデオが数多く展示されていました。目にしたものも多く
ありましたが、ある日本人が日本国内でベトナム戦争反対のゼッケンを7年間に亘って付けていたことなど知らない事もありました。中でも枯葉剤による後遺症やその子供に与えた影響の写真などは全く知らないものばかりでした。特に印象的だったのは子供を
抱えた母親が米軍に捕まった写真です。その表情には何も考えられない、全く自失呆然
とした表情。こうした中でほっと安心出来た写真が1枚ありました。アメリカ人の、
多分医者でしょう、子供を看ているのですがその表情には慈愛に満ちたものを感じました。また、その子供は医者のヒゲを興味深く触っているのです。思わず涙ぐんでしまいました。これが僅か44年前におきたことです。僕が二十歳になったころですね。
目的のもう一つはカンボジアのキリングツリーです。ここでは多くの子供が殺されました。ポル・ポト派による虐殺です。キリングフィールドの中にあるのですが、最初は
銃で、銃弾が勿体無いと次に鉈や斧で、それも使えなくなると子供の頭を木にたたきつけて殺したそうです。観光地もいいですがこうした40年前におきた現実にも目を向ける必要があると思っています。
ホテルの好意でチェックインの2時前に部屋に入れました。お昼ごはんを食べてから昼寝でもと思ったのですが眠くなりません。散歩してると実に多くの欧米人を見かけます。彼らは殆どの人が何らかのきっかけで必ずハローと声を掛け合います。アジア人は
そうではありません。やはり挨拶は大事ですね。例えば僕がホテルのロビーに居ると、そこに来る欧米人はハローと声をかけてきますが、アジア人で僕に声をかけてくれた人はいませんでした。ちょっと寂しいですね。
ホテル内は禁煙ですのでいちいち外に出なければなりません。ちょっと入っていくのが
躊躇われるような狭い路地があるのですが、このホテルを選択する前に検討していた
ホテルが、その路地の奥にあるので行って見ました。そこを選んでいたら絶対に辿り
つけなかったでしょう。一般の道路からはこの路地の奥ですよという看板が見当たり
ません。宿泊客は僕の部屋から見えるのですが、彼らはどうやってそこのホテルに行け
たのか不思議です。
どうもこの辺は風俗街のようです。やたらとマッサージのお店があります。試しにと
思って昨夜歩いてみたのですが、僕には一切声がかかりません。やはりジイさんは敬遠
されるのでしょうか。別に入る気もないけどね。
さてと今日はブラブラと散歩に出掛けますが、一応は観光名所を回ってサイゴン川まで
行ってみたいと思います。今日も晴れて暑そうです。