ジャンビでのホテル生活
前回は頭に来ていたので写真がありませんでした。今思い出しても腹が立ちます。と言うのは嘘でもう治まっております。
ドライバーで思い出すのはドゥマイからペカンバルに行く時の運転です。滅茶苦茶な
運転と書きましたが、明らかに進入禁止や一方通行の逆走など平気でやってのけます。
おいおい、ここは進入禁止でないのと思っていると対向車から激しいクラクション、
一方通行の逆走では対向車にパッシンッグされてました。しかし我がドライバーは
全く気にしている様子がありません。止められるもんなら止めてみろといった感じで
突っ込んで行きます。でもそのお陰で早く着くことが出来たので、あとは警察に捕まらない事を祈るばかりです。
さてジャンビですが、多分初めての1000円以下のホテルだったと思います。通過
するだけの町だと思って安くてもいいと思い、また1000円以下のホテルはどんな
所だろうかという興味もありました。一応それなりの設備で問題なかったのですが、
何とトイレットペーパーがありません。フロントに聞くと水で流すから問題ないと言う。ではその水で洗った後、どうやって乾かすのかと聞いたらちょっと考えてカウンターの下にあったティッシュを出して見せました。明らかに水に流してはいけない紙でした。近くにコンビニがあったので半信半疑で探してみると、一応同じ形態でロールに
なってはいましたがティッシュと変わらないんではないかと思われる材質でした。店員に聞いてみるとトイレットペーパーだという。その後インドネシア国内でトイレットペーパーが通じた事はありません。恐らくこの時は適当にイエスと言ったのではないかと思います。トイレットペーパーがないホテルは初めてです。歯ブラシを置いている所は
少ないのですがここにはありました。トンチンカンなホテルです。でもそのトンチンカンなホテルが面白かったのです。10時半に着くとカウンターの中で仮眠していた女の子が寝ぼけ眼で起きて来ました。チェックインを済ませ部屋を確認(この時はまさか
トイレットペーパーがない事など気がつきませんでした)してWiFiのパスワードなどを
聞いているとマッサージはどうかと言って来ました。2時間で2300円くらいでしょうか。2時間もいらないと言って30分ならと言ったら1600円くらいと言って来ました。11時間の移動で疲れていたしここはマッサージでもしてもらって疲れをとるか
と思いOKすると男の子が飛び上がらんばかりに喜んでいます。翻訳アプリでどうしてかを女の子に聞いたら、仲間を助ける事ができるので喜んでいるのだと言う。なんて仲間思いなのだろうと思ったが中間マージンをホテルが得られるからではないかと勘ぐったりしました。しかし彼女が来ると渡した10万ルピア2枚をそのまま渡してました。勘ぐった自分が恥ずかしくなりました。純粋に彼女に収入が入る事を喜んでいるのです。30分経って部屋に居ると、未だ夕飯を食べていないという僕のために何所から仕入れてきたのかナシゴレンを持ってきてくれました。お金は勿論払いました。しかし
このナシゴレンはその晩には食べれず翌朝の朝食となりました。部屋は禁煙なのでロビーに行くとスタッフが何やら騒いでいます。女の子が日本製のものを持っているかと
聞いてきたのでTシャツとかならあるというと女性向けのモノだという。そんなもの
持ってる訳ないのに仕方ないので部屋に戻りメモ帳があったので上げました。他には
というので再度部屋に戻ると皆で付いて来て僕の荷物を眺めています。タオル、石鹸、
洗剤などがあったので好きなものを上げるというと喜んでみんな持っていきました。
その後安ホテルでしかも一番ロビーに近い部屋だったので皆が騒いでいる声が煩かった
のですが何とも気持ちのいい眠りにつくことができました。みんなとても喜んでいるのですから。
このホテルのスタッフの個性が面白いのです。男の子は仏頂面してますがとても優しい。仲間の収入を喜んだり、バスのチケットを時間外に買いに行ってくれたり、夕飯
も買ってきてくれました。女の子は遠慮会釈なしでとても素直な子です。下手に媚びたりしません。マッサージの女性は一番快活ですが過去に暗い経験をしてとても寂しい
のを隠しています。その他冷静で的確に問題を解決したりコツコツと確実に仕事を
こなしている人など本当にさまざまな個性でとても仲がいいのです。
そのホテルのスタッフと夕飯を食べに行った時の写真です。僕に気を使って日本食料理のお店にしてくれました。わさびには手を出しませんでした。刺身を食べた男の子は
途中で紙に吐き出していました。手前左側の女の子はその男の子の刺身まで食べていました。みんなで人の料理を食べ比べしたりまるで家族のような雰囲気です。言葉は全く
わかりませんがみんなと一緒に居るこの雰囲気が好きだと翻訳アプリで見せました。
冷静沈着な、僕をハンサムだと言ってくれた女の子は都合で来れませんでした。残念。
時々部屋に居ると日本の話を聞きたいのか誰かが来ます。しまいにはホテルの猫まで
僕の部屋に入ってきました。
猫の写真だけではつまらないと、レジが壊れて商品を売れないと言われたコンビニからの帰りに町の様子を撮ってきました。なんてことない写真です。
朝の6時過ぎの幹線道路です。
ホテルの近くはまだ開店してませんが、下町の衣料品店街といった感じでした。
朝のオジサン集会でしょうか。断りもなく撮ったのですが撮ったあとに見ているとニコッと笑ってくれました。インドネシアの喫煙率は高いです。かなり多くの男性が吸っています。驚いたのがインドネシアに上陸して初めて入ったスマホのお店(SIMを買った)の中でバイタクのドライバーがタバコを吸い始めたのです。店内禁煙の習慣が身に
ついている僕としては驚きでした。その後お昼ごはんを食べに行ったのですがそのお店
でも店内禁煙ではありませんでした。テーブルには灰皿があります。ここの息子が僕の
写真を撮ってもいいかと言って来ました。何故かと聞いたら客で新しい友達だとわからない英語で説明してました。これはドゥマイでの話しです。
次も8時間かかるというパレンバンという街です。どんなドライバーが登場してくるか
楽しみです。
赤道を越えた
ペカンバルからジャンビに移動です。この時赤道を越えて行きます。初めての南半球です。行った国で今までで一番赤道に近いと言ったらベネズエラでしょうか。次はイエメンといったように赤道を越えた事はありませんでした。
走っているミニバスの中で、iPhineのコンパスを見ていると緯度が0になる瞬間があり
ました。その時外を見たのですが特に赤道を示すようなものはなく、辺りも特に赤道の
町で盛り上げようといった雰囲気もありませんでした。考えてみればそれがどうした、
というところでしょうか。日本なら間違いなく赤道直下の町ということで町おこしなんかを考えるんでしょうが、この辺も国民性の違いかな。僕は町おこしも結構だけど、
ここのようにそれがどうした、といった冷静というか一歩引いた姿勢のほうが性に合っているかなと思います。
そんな事より聞いてください、と言いたい問題がありました。ホテルからは迎えのミニバスは10時に来るので9時半にはロビーで待機してと言われて2分前にはチェックアウトを済ませて待っていました。
しかし待てど暮らせど来ません。受付の女の子もマネージャーもドライバーとでしょうか、盛んに気にしてくれて後7分で来ます、11時になります、などと教えてくれます。でも結局来たのは11時半。流石に11時15分を過ぎたあたりからイライラして
きました。12時になっても来なかったらここにもう1泊して・・・などと考え始め
ました。なにせここからジャンビまでは8~10時間と言われていたので着くのが10時を過ぎるのはシンドイです。そして来たのが11時半。ドライバーとホテルがもめそうになるのを振り切ってさぁ行こうとドライバーを促しました。この時英語が通じる
マネージャーがいたので何故1時間半も遅れたのか聞いとけばと後悔しました。乗ってからある程度英語が通じるドライバーに聞いても、この質問になるとあなたの言っている英語がわからないと言い出すのです。てめぇ、コノヤローと思いましたが打つ手も
なし。
まぁ兎に角走り出したので安心して、こんなこともあるかと思いましたが考えてみると
時間前に来た事はあっても遅れたことはこれまでありませんでした。乗客は僕と助手席
にふんぞり返っている二人のようです。これからワンサカ乗ってくるのだろうと思ったら乗客らしい人や待っていそうな場所で盛んに行き先を連呼してます。どうやら事前に
連絡してたのは僕だけのようです。タイのように事前連絡とか乗り場が決まっている訳
ではなさそう。それで遅れたのかと思ったがそれにしても1時間半は長すぎる。しかも
10時に約束している。途中で止ったかと思ったら助手席の男性のトイレだった。12時ころだったのでランチタイムかと聞いたら2時だと言う。この程度の英語は通じる。
2時になってランチ。相変わらず3人。ランチの後も減速しては行き先を連呼、バス停
見たいな所では5分、10分と停車。次第に怒りがわいてくる。地図で現在地を確認するとまだ半分も来てないのに5時半を過ぎている。既に6時間経過。停車した際に他の
乗客の(と言っても1人だが)前ではどうかと下りてドライバーに一体いつになったら
着くんだ、無駄な時間をなくせ、早く進めと強めの抗議。すると流石にまずいと思ったのかそれからは前回のドゥマイからように飛ばし始めた。暫くすると停車。助手席から
男性が下りた。ここでお別れかと思ったら何と運転交代。乗客ではなく、交代乗務員
だった。すると乗客は僕1人?運賃は1800円程度か。これで418キロ、11時間
では割に合わないハズだ。盛んに乗客を探しているのも頷ける。しかし既に乗ってる僕
にしてはかなわない。6時過ぎて距離はまだ半分。乗客を探してない時は携帯で誰かと
話をしている。タバコは吸う。携帯とタバコを吸う時には当然スピードが落ちる。
よほど携帯を取り上げようかと思ったほどだ。理由は乗客の安全第一である。しかし
そこまでは出来なかった。運転を交代してからは若いだけあってきわどいタイミングで
遅いトラックを抜いていく。そう言えば交代する時、何か以前のドライバーが言ってたな。恐らく僕が言った事を伝えたのだと思う。暗くなっているのもあるが、流石に乗客
を探して乗せようという様子はない。交代してから以前のドライバーはスリーピングと
言って助手席のリクライングを目一杯倒して寝た。鼾もかいている。こっちはリクライングなどなく、殆ど垂直に近い姿勢で苦しんでいると言うのに片やフラットな状態で
鼾をかいている。これでは乗客とドライバーが逆ではないか。初めは疲れているだろうと大目に考えていたが、こちらの姿勢が苦しくなってくるとそんな考えも吹っ飛んで
しまった。携帯がなって起きると長々と話。恐らくホテルが電話してたのは会社の方で
ドライバーではない。常に電話しているので通じる訳がない。車は山の中で電波状態が
良くない。ハロー、ハローと何度も大声で言っている。大声を出せば通じると思っているらしい。しかも大音量でご他聞に漏れずミュージック。携帯のバッテリーが切れろと
思っていたら車の電源で充電。憎たらしい。目的地が近づいても相変わらず電話。思わず僕が何所に行くのか仕事上気にしても可笑しくない。しかし一向にその気配なし。
思わず携帯での話中にここに行くのがわかっているのかとスマホの地図を見せて確認。
このドライバーに限らず皆知っていると言う。しかしこれまで迷わず行ってくれたのは
たったの2回だけ。今回もそう。知っていると言って走り出してから探す。
長くなったが結局ホテルに着いたのは10時半。何と11時間もかかった。休憩はランチの1回だけ。夕飯も食べられなかった。ここまで書いてきて何とか気が治まってきた。次回は所要時間8時間というパレンバン。矢張り懸念したとおり難儀な道中となった。またお土産話が出来なければいいが。
ペカンバル、その2
モスクの見学を終えて帰ろうとしたら、開いてた裏門が閉まっていました。道路から
ここから入れるのかなと裏門越しに中を見ていたら、中のおじさんが手招きしてくれたのでここから入り先ほど断られた正門に行って警備員にこれでいいかと訊ねました。
中に入ってから聞くのもヘンですが一応日本人として恥ずかしくないよう改めて断りました。
このように閉まっていました。諦めて正門から出ようと向かっていると手招きおじさん
とバッタリ出会いました。門が閉まっているから正門から出るよ、と手振りで説明するとついて来いと矢張り裏門に行くのです。はて、鍵でも持っているのかなと思いながら
ついていくと。
この子のように人が楽に通り抜けられるのです。別に壊れているようにも見えませんでした。設計か施工ミスでしょうか。面白いですね。
ホテルの窓から撮ったモスクです。やはり写真だとその迫力が感じられませんね。
前回のドアがない小型バスの写真ではお金を入れる部分が良くわからなかったので、再度止っていた車で撮らせてもらいました。
どうですか。ハンドルの上の部分はただの空間で二つに折りたたまれたお札が見えます
よね。この状態で走っています。でも撮ってから気がついたのですがお尻が光っているUSBメモリがありました。
ビールを買いに行ったスーパーです。入り口にクリスマスツリーがありました。
比較的大きな施設ではお目にかかることが出来ます。
次回はいよいよ赤道を越えます。初めての南半球です。それだけですが何か興奮します。
ペカンバルの街
昨日散策していて気になったのがこれ。
バス停のようですが何故か表彰台のような階段があります。ここに上ってバスの出入り
をするのでしょうか。乗降口がそんなに高い位置にあるバスは見ていません。
そして今朝、散策していたら謎が解けました。矢張り乗降口が高い位置にあるんですね。何故かは不明です。安全のためでしょうか。
そういえばミャンマーのパアンでは神奈中バスがこのように改造されていたのを見ました。もしかしたらインドネシアからの中古車だったのかもしれません。
どうですか。ほぼ同じ所に乗降口があるではありませんか。この時は何故このような
改造をしていたのか謎で多分、荷物の出し入れが楽な高さにしたのではないかと思い
ましたが違ったようです。インドネシアとミャンマー、この2ヶ国に行かないとわからなかった事ですかね。
近くの朝市を歩いてきました。後ろが渋滞していようが構わず堂々と車を止めて荷物を
積んでいる車です。後ろの車も文句を言う様子がありません。お互い様といった互助精神でしょうか。この道幅です。車は一方通行のようです。
日曜なのでミサが終わった所でしょうか。教会から沢山の人が出てきました。モスクも
あれば教会もあるという何とも不思議な街です。お寺は見なかったですね。仏教はさほど浸透していないのでしょうか。
トロロもどきですかね。何となく似ているようなそうでないような微妙なバランス感覚
です。胸に書かれたLONGMACも意味不明。
マレーシアほどではないにしろ、ここも歩き難いです。歩道の上に堂々とお店を開いて
います。こうなると右側の車道を歩かざるを得ません。車が沢山止ってますがね。
昨夜ホテルのマネージャーと一緒に渡った歩道橋です。渡っている人を見た事はありません。
夜だったのでわからなかったのですが、所々腐っていました。穴が空いて空が見えて
います。いつ抜けても可笑しくない状況ですね。
ビールを買ったスーパーの先に橋が見えました。何故か渡ってみたくなります。
ここ最近ではお目にかかったことがないちゃんと整備された歩道でした。しかし歩いている人はいません。
恐らく近距離を移動するなら最も安い乗り物だと思います。バイタクは殆ど見かけません。タクシーは時々見かけます。
ワンボックスを改良したのでしょうか。どの車もドアがありません。
足元にはアクセル、ブレーキ、クラッチ(ハンドルに隠れて見えませんが)、ウィンカー、ライト、ワイパースイッチはあるのですが運転手の正面にはスピードメーターなどの表示パネルがありません。黒い部分はお金を入れるただのモノ入れです。ちょうど
止っていたので撮らせてもらいました。走っている車をチラッと見たらどうも表示パネルがないように見えたので確認させてもらいました。多分車検なんてないんでしょうね。メーカーを確認しなかったのですが他の走っている車はほぼ100%日本車です。
東南アジアでは日本と違って三菱が健闘しているように思います。
イスラムの朝は早い
イスラムの国では何所でも朝の4時過ぎにはアザーンという礼拝に誘う肉声の大音響が
スピーカーから流れてくる。4時半ごろにはどうしてもこれで起こされる。まだ暗い内
からそこかしこから人が出てきてモスクへと集まる。
昨日は近くにあった大きなモスクに行った。短パンだったので警備員に入れないと断られたのでホテルに戻り着替えて再度モスクへ。これでいいかと身振りで聞くと親指を
立ててOK。
正面ゲートから撮ったモスクです。ここで断られてホテルに戻る時にせめて写真だけでもと撮った写真です。
モスクに入りました。玄関の丸天井です。イスラムブルーが矢張り綺麗です。ここで
男の人が盛んにこのモスクについて説明してくれるのですが、インドネシア語でさっぱりわかりません。するとここの関係者でしょうか、目だけを出した衣装の女性が通り
かかり男性が何か言ったかと思うと英語で説明してくれました。1956年に建てられたモスクでこの辺では一番大きいとか。その後エスカレーターで本殿(?)に。幕で
仕切られた一画は女性専用で男性は入れない。正面の電光掲示板にはお祈りの時間が
表示されている。毎日同じ時間ではないが少しずれるだけでアザーンが流れるので礼拝
の時間が分からない事はないと言う。宗教は違えど何となく厳かな気持ちになるもんです。6時を過ぎたのでこれからホテルで朝食。ここのはなかなかいけます。
決めました。
日本を出る前からマレーシアまでは移動方法について何となくイメージ出来たのですが、島国のインドネシアについては全くイメージ出来ませんでした。インドネシアには
仕事で来る事もで来たのですが、確かイエメンと日程が重なってしまったのでやむなく
他の人に行ってもらった事があります。何でもPTインコというアルミ精錬の工場だった
かと思います。
インドネシアは西からスマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島の主にこの3つの島で構成されています。来るまでは知らなかったのですが上陸したスマトラ島には鉄道がありません。飛行機か車(バス)での移動になります。そのスマトラ島を南下して行くのですが
今日、ホテルに相談したら綺麗なお姉さんが達者な英語で対応してくれました。
地図で見るとスマトラ島を南下するには3本の道があり、西側、中央、東側となります。どのルートがいいかと聞いたら迷うことなく東側だと言う。僕はインド洋に沿って
走る西側のルートがいいのではと思っていたのですが、首都のジャカルタには西側を
通っても途中で東側の道にバスは戻るのだそうです。しかし東側のルートをバスで移動するにしても途中の町にはホテルがないので車中泊で3日ほどかかるのではないかという話だった。盛んに飛行機の利用を勧めるのだが時間はあり、かつイージーな方法での
移動は嫌いだと言うと納得してくれたようだ。ここで一旦部屋に戻り地図を眺めてみた。すると東側のルートでジャンビ、パレンバンという大きな都市が目に止った。
再度レセプションに行ってこの二ヶ所ならホテルがあるのではないかと聞くとあるという。決めた。ここ(ペカンバル)にもう一泊してジャンビ、パレンバンのホテルに泊まって南下することにした。ホテルには明後日のジャンビ行きのバスを手配してくれるように頼んだ。楽チンな大型バスでは何かトラブルがありミニバスならあるという。それでいいということでお願いした。そらなら安いしホテルからホテルまでドアツードアで
行ってくれる。但し再度絶叫マシーンのようなスリルを味わいながらだけど。明後日が
これからの移動時間で一番長いのではないだろうか。8~10時間とのこと。出発は
夜の8時か朝の10時。迷わず朝の10時にお願いした。
インドネシアではお酒が飲めないと覚悟していたが、先ほどホテルのマネージャーが
話しかけてきたので、話のついでにビールを飲めるお店を紹介出来ないかと聞いたら
売っている所まで一緒に行ってくれるという。場所を確認すると縮尺を見間違えたのか
結構近そうだった。20分ほど歩かされたがハイネケンを2缶買う事ができた。もし
良かったら明日の朝も一緒に歩こうと誘われたが、いつおきるか分からないのを理由に
断った。さて、滞在を1日延ばしたが明日は何をしようかね。
インドネシアのドライバー
さてフェリーが着いたドゥマイからバイタクで市内のバス乗り場まで連れていってもらった。途中SIMを入れるのだったらこの店がいいと、気を利かせて携帯電話屋さんで停車。結構流暢な英語を喋るおじさんだったので助かった。船内でも販売していたが、
高いだろうと敬遠していたので早速SIMを購入。ラオス、ベトナム、カンボジアでは
あまり必要性を感じなかったので購入しなかったが情報が少ないインドネシアでは何が
幸いするか分からないので購入。スマホは通信出来ないとただの表示機でしかない。
マレーシアとは1時間の時差があるので1時間ほど時間を戻すとインドネシアでは11時過ぎになっていた。バス乗り場はターミナルではなく、家族経営の個人商店だった。
娘だろうと思われる3人が、何でもめたか知らないが一番下の子が地面に座り込んで
泣きべそをかいていた。何か上げられるものをと考えたら子供用のメモ帳があったので
無理やり押し付けるようにしてあげた。
最初は興味なさそうにしていたが次第に熱心に見始めた。どうにか機嫌を直してくれた
ようだ。
バスは2時に出発するという。これまでの乗り合いバスは時間が決まっておらず、定員になったら出発するというシステムだったので時間が決まっているというこには驚いたがこちらとしては有難い話だ。定刻の15分前に出発するという。尚更結構だ。
乗客は5人。あと二人ほど乗れるが出発した。案の定、途中で1人乗ってきた。あと1人はと思っていたがとうとう6人でペカンバルまで行った。
道は片側1車線でオレンジの線ではみ出し禁止になっているが、遅いトラックがいると
平気で反対車線に出て追い抜く。この光景はイエメンやパキスタンで散々イヤというほど見てきた。テーマパークの下手な絶叫マシーンよりスリルがある。なにせ命の保障は
ないのだから。正面衝突寸前で元の車線に入っていく。これが何とも絶妙なタイミング
でやってのけるもんだから見ていて飽きない。眠れない。緊張で体が硬くなっている。
気がつくと身体のどこかに力が入っているのに気がつく。これが5時間も続く。途中、
休憩にしては早いなと思ったらお祈りの時間で乗客数人とドライバーがプレイルームで
お祈りしていた。サウジでも空港に向かう途中でそんな事があった。
順調に進んでいると思ったらいきなり渋滞停車。山の中というより高原の1本道といったほうがいいような道路で勿論抜け道などない。暫くすると反対車線の路肩、即ち反対
車線の更に向こう側を救急車がこちらと同じ進行方向に走っていった。これを見た我が
ドライバーは意を決したかのように同じ所を走り出した。と思ったら直ぐに大きな穴に
タイヤを取られてスタックした。乗客が降りて車を押す。直ぐに抜けることができたが
相変わらず渋滞に大人しく並んで待っているドライバーではない。何と対向車が来ない
のをいいことに、反対車線を走り出した。これに続く後続車もいて2車線道路と化した。しかしいつまでも対向車が来ない訳がない。遠くに見えたと思ったらすかさず元の
車線に割り込む。後続車は知らずにそのまま反対車線を逆行。当然対向車が大きなクラクションを鳴らす。適当な割り込みが出来る所がないと反対車線も渋滞。何ともカオス
な状態となってしまった。こんなインドネシアの洗礼を受けても無事ホテルまでバスは
送ってくれた。とても労働に見合った料金ではない。6時間近く走って120円ほど。
掛ける乗客の人数だがそれでも1000円に満たない。下りた時に思わず10万ルピア
約760円を子供たちにと言って渡した。決して多い金額ではなかったがそうせずには
いられなかった。そんなインドネシアの初日でした。